【育児漫画】たがためにベルは鳴る

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私はおかあさんといっしょのエンディング「ベルがなる」を聞くと、胸が締め付けられ、泣きそうになってしまいます。情緒が不安定だと、実際に泣いてしまいます。最近は不安定なのか、毎回泣いていますw

どうして「ベルがなる」で胸が締め付けられるのかというのを考えてみました。

「また会おう」の残酷さ

すごく明るくて前向きな曲だと思うのですが、”夕方”と”別れ”を想起させることが原因なのかなと思います。特に、「一回さよなら、また会おう」から匂う「永遠の別れ」のイメージが、この歌を切ない歌にしてしまっているのだと思います。

「また会おう」ほど無責任で、残酷な言葉はありません。また会おうは、果たされない約束。大人はそれを何となく察しますが、子どもは言葉を額面通りに受け取ります。また会えるんだ、と。そのギャップがまた悲しい。




何かを得るために何かを喪失する

現在息子は1歳2ヶ月。2ヶ月前に、0歳の彼とお別れをして、1歳の彼と出会いました。

握りしめていた臭いほこりも、全身でしゃっくりをする頼りない体も、ヨーグルトのにおいがするうんちも、時の女神に奪われました。時の女神が何かを奪うとき、人はその瞬間には奪われたことに気づきません。気づくのはずっと先です。

今の1歳の息子の、意味をなさない喃語も、だっこをせがむ小さな手も、よちよち歩くおしりもやはり、気づかない間に時の女神が奪っていくのでしょう。じきに息子の喃語は意味のある言葉になり、だっこを欲しなくなり、しっかりとした足取りで走れるようになってしまいます。

言葉を得るのは嬉しい。だっこはいつまでもしてやれない。走れるようになるのも嬉しい。でもそれは同時に、喃語やよちよち歩きの喪失を意味する。

数年後にベルがなるを聞いたら

毎日見ている「おかあさんといっしょ」も、数年後には見なくなるでしょう。時が経ってから、毎日のように聞いていたエンディングを聞けば、一緒に見ていた頃の息子を思い出すこととなりそうです。

文字通り、テレビにかじりついて見ている君。あまり目には良くないのかなと思うけれど、そのおしりが可愛くて、テレビ台から引き離すことができないよ。最初は音楽に合わせておしりを振っているだけだったけれど、どんどん真似ができるようになり、踊れるようになってきたね。

数年後、あるいは10年後。「ベルがなる」を聞いて、小さかった息子を思い出して、胸が締め付けられる自分。そのことがありありと想像できるのです。

だから、切ない。



出会いと別れ。獲得と喪失。成長とは、それらを何度も繰り返すことかもしれない

今日は、1歳2ヶ月7日の息子とお別れしました。二度と会えません。明日は、1歳2ヶ月8日の息子に出会い、そして別れます。何度も何度も身を切られるような別離を繰り返し、息子は大きくなっていきます。時の流れは不可逆で、決して逆行することはありません。

君がこんなに懐かしいのは、前世でも君の親をしていたから。

君がこんなに愛おしいのは、来世でもまた会えるから。

「一回さよなら」
1歳2ヶ月7日の君に。

「また会おう」
来世でまた会える。1歳2ヶ月7日の君に。

2018年7月(5か月前。息子が9ヶ月の頃)に考えていたこと↓

※このアカウントはいつものアカウントじゃないけれど、私のもう一つのアカウントです。育児アカウントと分ける前は、こちらでつぶやいていました。オタク発言とお酒美味しい発言しかしない、人畜無害なアカウントです。恥ずかしいから、フォローしないでねw

このツイートを久々に見て思ったのが、もうすでにハイハイをほとんどしていないということ。あんなに当たり前にしていたのに。もう移動手段の9割以上が一人歩きです。

私のほうがハイハイしているくらいw

いつからしなくなったのか分かりません。いつの間にか時の女神に奪われていたことに、これを書きながら気づきました。子供の成長はシームレスなので、いつからしなくなったのかが分からず、しなくなったことに気づかないんですよね。

成長はとても嬉しいのに、寂しさをともないます。初めてつかまり立ちをしたとき、初めてつかまり歩きをしたとき、初めてつかまらずに立てたとき、初めて一歩を踏み出したとき。全部の瞬間が嬉しくかけがえのない記念日ですが、同時にそれは、時の女神が息子からハイハイを奪っている過程でもあります。

Eテレの日々は私の胸にだけ残る、私だけの思い出

この、「ベルがなる」やEテレの日々のことは、私だけの思い出になるんですよね。息子は将来忘れてしまうだろうし、夫は平日家にいないから、Eテレを見ない。ベルがなるも、ブンバボンも、からだダンダンも、毎月大好きになってしまう月歌も、全ては私の胸にしか残らない。

子供の成長について「最近、エレベーターのボタンがお気に入りだねー」と夫婦で共有ができますが、このEテレについてだけは共有ができません。

録画したEテレをたまに週末に見せますが、それだけでは足りない。毎日2回脳に刷り込んでいる私とは、全く経験値が足りない。

つまり、数年後にベルがなるや、他のEテレの歌を聞いて胸が締め付けられるのは、私だけなのです。夫にこの話題を振っても、温度差があって話がかみ合わないでしょう。そのことも、非常に寂しいです。

将来、世のお父さんたちが悠々と育休が取れて

お母さんと同じ時が歩めればいいなあ

こちらが同じころ、「ベルがなる」について考えていたこと↓

パプリカも、ベルがなると同じ現象を引き起こしそう。いやそれ以上かも

この、聞いたら切なくなる歌現象というのは、現在ガンガンに流れている「パプリカ」でも起きそうです。というか、すでに私は、パプリカが切なくて仕方がありません。パプリカの歌詞もメロディも、切なさがにじみ出ているし、その踊りを下手くそに踊る息子を見るのも苦しいです。

そんな私の思いとは裏腹に、これまた無邪気に踊るんですよね。かわいいのに、かわいいのに、苦しい。

夏が来る、影が立つ、あなたに会いたい
あかんでしょ、こんな歌詞…絶対あかん……

おそらくパプリカは2020年8月以降、あまり聞くことがなくなると思われます。つまり、一番濃密な時間を過ごした「0歳~2歳」限定の曲となり、数年後に聞けば、その頃の息子の幻が現れるに違いありません。

もちろん息子は、歌詞もメロディも踊りも、忘れてしまっているでしょう。私の網膜にだけ映る幻。

まとまりがありませんが、おしまいです

※こちらの記事は、2018年12月頃に書いたんですが、勢いで描いたため漫画のクオリティが残念で、2019年8月に書き直したものです。クオリティは残念なんですが、思いが強すぎて捨てきれないため、こちらに置いておきます。

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