私はおかあさんといっしょのエンディング「ベルがなる」を聞くと、胸が締め付けられ、泣きそうになってしまいます。情緒が不安定だと、実際に泣いてしまいます。最近は不安定なのか、毎回泣いていますw
どうして「ベルがなる」で胸が締め付けられるのかというのを考えてみました。
すごく明るくて前向きな曲だと思うのですが、”夕方”と”別れ”を想起させることが原因なのかなと思います。
現在息子は1歳2ヶ月。少し前に、0歳の彼とお別れをしました。
握りしめていた臭いほこりも、全身でしゃっくりをする頼りない体も、ヨーグルトのにおいがするうんちも、時の女神に奪われました。
時の女神が何かを奪うとき、人はその瞬間には奪われたことに気づきません。気づくのはずっと先です。
今の1歳の息子の、意味をなさない喃語も、積み木を積んで拍手をする小さな手も、柔らかなくせ毛もやはり、気づかない間に時の女神が奪っていくのでしょう。
毎日見ている「おかあさんといっしょ」も、数年後には見なくなります。
時が経ってから、毎日のように聞いていたエンディングを聞けば、一緒に見ていた頃の息子を思い出すでしょう。
文字通り、テレビにかじりついて見ている君。あまり目には良くないのかなと思うけれど、そのおしりが可愛くて、テレビ台から引き離すことができないよ。
数年後、あるいは10年後。「ベルがなる」を聞いて、小さかった息子を思い出して、胸が締め付けられる自分。そのことがありありと想像できるのです。
だから、切ない。
今日は、1歳2ヶ月7日の息子とお別れしました。二度と会えません。明日は、1歳2ヶ月8日の息子に出会い、そして別れます。何度も身を切られるような別離を繰り返し、息子は大きくなります。
君がこんなに懐かしいのは、前世でも君の親をしていたから。
君がこんなに愛おしいのは、来世でもまた会えるから。
「一回さよなら」
0歳の君に、1歳2ヶ月7日の君に。
「また会おう」
来世でまた会える。0歳の君に、1歳2ヶ月7日の君に。
数年後に「ベルがなる」を聞いて胸が締め付けられる自分を、こんなにもありありと想像できるのは、私が未来からきたせいかもしれない、と本気で考えてしまいます。
7月(5か月前。息子が9ヶ月の頃)に考えていたこと↓
今日は寝かしつけをしながら、ちょっぴり泣いてしまった。穏やかで平凡な一日だった。大きくなった息子が反抗期を迎え、うるせえババアと言われた私がショックのあまり、神さまに息子が小さかった日に一日だけ戻してと願い、実現した日のようだった。かけがえのない平和な日。
— こうぼきん (@bakkasuaiko) 2018年7月19日
明日もたぶんこんな一日。でも少し違うんだろう。少しずつ、息子は成長する。出来なかったことが出来るようになり、代わりに何かを喪失する。寝返りや喃語を得た代わりに、あんなに当たり前にしていたモロー反射も飛行機も失った。ハイハイもきっとすぐにしなくなる。
— こうぼきん (@bakkasuaiko) 2018年7月19日
穏やかで平和な今日は、もう二度と訪れない。破りとった障子紙で得意気に遊ぶ息子を見て、今日という日のかけがえのなさに胸が締め付けられ、落涙した。
そんな一日の終わりでした。
— こうぼきん (@bakkasuaiko) 2018年7月19日
※このアカウントはいつものアカウントじゃないけれど、私のもう一つのアカウントです。
育児アカウントと分ける前は、こちらでつぶやいていました。
オタク発言とお酒美味しい発言しかしない、人畜無害なアカウントです。
恥ずかしいから、フォローしないでねw
このツイートを久々に見て思ったのが、もうすでにハイハイをほとんどしていないということ。あんなに当たり前にしていたのに。
もう移動手段の9割以上が一人歩きです。
私のほうがハイハイしているくらいw
いつからしなくなったのか分かりません。
いつの間にか時の女神に奪われていたことに、これを書きながら気づきました。
子供の成長はシームレスなので、いつからしなくなったのかが分からず、しなくなったことに気づかないんですよね。とても寂しいです。
あと、このころ障子紙をせっせと収穫してはビリビリ裂いて口にくわえていたんですが、それもしなくなりました。
それはまあ、手の届く範囲の障子紙を摘みつくしたからですがw
こちらが同じころ、「ベルがなる」について考えていたこと↓
おかあさんといっしょのエンディングを聞きながら泣いてしまうくらいには、情緒不安定です。だって、
みんなでいっぱい踊ったら、一回さよなら、また会おう
って、悲しくない!?たぶんもう二度と会えないやつだよ、これ。フラグだよ、悲しいよ。
— こうぼきん (@bakkasuaiko) 2018年7月19日
無邪気に言葉を交わし、一緒に踊って、僕たちもう友達だねまた明日って人間の子供が。曖昧な返事しかできない「僕」
訪れる日没、解ける魔法。果たされない約束。悲しいじゃん!
— こうぼきん (@bakkasuaiko) 2018年7月19日
この、「ベルがなる」やEテレの日々のことは、私だけの思い出になるんですよね。
子供は将来忘れてしまうだろうし、夫は平日家にいないから、Eテレを見ない。
子供の成長について「最近、エレベーターのボタンがお気に入りだねー」と夫婦で共有ができますが、このEテレについてだけは共有ができません。
録画したEテレをたまに週末に見せますが、それだけでは足りない。
毎日2回脳に刷り込んでいる私とは、全く経験値が足りない。
そのことも、非常に寂しいです。

将来、世のお父さんたちが悠々と育休が取れて
お母さんと同じ時が歩めればいいなあ
まとまりがありませんが、おしまいです。