食に対してモチベーションを失って、同時に夫への愛情も失った話

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私はもともとお酒が大好きで、そのお酒と一緒に美味しいものを食べるのも大好きでした。その、食べるものを作るのも好きでした。自分が作ったものは自分の好みの食材と味付けなので、とても美味しいのです。

また、好きな人と一緒に食事をする、という楽しさもあります。
食事というのはもちろん、必要な栄養を体内に取り込むための行為ですが、同時にコミュニケーションツールでもあると私は考えています。
好きな人と一緒に、お酒を飲みながら食事をする。
その楽しさが毎日あるなんて、とても幸せに感じていました。

どのようにして、食に対してのモチベーションを失ったか

このグラフの青いラインが、私の食のモチベーションです。
では順番に見ていきましょう。

実家にいるころ


実家にいるころは、与えられたものをただ食べるだけだったので、そこまで食事を好きではありませんでした。

一人暮らしを始めてから

一人暮らしをするようになって、友人と食事をする機会が増えました。また、自分で食事を選び取るということも増え、どんどん食事が好きになりました。
お酒を覚えたことも大きかったです。

友人とお酒を飲みながら美味しいものを食べるのは、非常に楽しかったです。

夫と同棲を始めてから


夫と同棲するようになって、私は人のためにご飯を作り始めました。
それまであまり自炊をしていませんでしたが、ご飯を作ることはそんなに抵抗がありませんでした。
ご飯というのは、美味しいかまずいか、結果がすぐに分かります。少しずつブラッシュアップをしていき、私はどんどんご飯を作ることが上手になっていきました。同時に、自分のご飯を好きになっていきました。

夫と結婚してから


結婚すると、さらにちゃんとご飯を作るようになりました。
この頃、私は毎日夕ごはんを手作りしていました。だいたい、メイン、副菜×二皿、汁物という組み合わせです。

それにビールをどんと添えます。毎日毎日夕ごはんが楽しみでした。その楽しみのために、仕事を頑張っていました。
週末は、また格別です。夫と今週の昼ごはんは何にしようかと言いながら、近所のお気に入りの定食屋へ行ったり、新しくできたラーメン屋へ行ったり。夕ごはんは早くから食べられるので嬉しくて、ビールと美味しいおつまみを作って食べていました。

夫は口数が少なく、特に人を誉めるボキャブラリーが少ないので、めったに美味しいと言うことはありません。
でも機嫌よく食べているので、私が作ったものを美味しいと思ってくれていると思っていました。

また食事のリクエストを聞いても、芳しい返事が返ってくることはありませんでした。

刺身とか、すき焼きとか…。

でも、普段ご飯を作らない男性ならこんなもんだろうと思っていました。

妊娠してから


この生活は、妊娠して、ビールが飲めなくなっても、同じように続きました。

おつまみの楽しみは少し失せたものの、ビールを飲まなくなったからか、今まで興味のなかったスイーツが好きになり、美味しいもののバリエーションが増えました。それはとても喜ばしいことでした。

子供が生まれてから


子供が産まれて、少し状況が変わりました。

平日の状況

平日はワンオペです。
夕ごはん以外の食事は一人。
一人のご飯に対して、私はモチベーションが上がりません。さらに赤ちゃんは気まぐれで泣きます。機嫌がいいときに、おにぎりなどの簡単なものを、ささっと食べていました。
もともと一人で食べる食事にはたいして楽しみを抱いていなかったので、これはどうでもいいことでした。
夕ごはんは、子供を産む前と変わらず、きちんと準備をしていました。
赤ちゃんを見ながらの食事の準備は大変でしたが、美味しい食事を一日に一度、好きな人と摂りたかったから、続けていました。

週末の状況

週末は一日中、夫と一緒です。朝ごはんも昼ごはんも夫とです。
朝ごはんは基本的に食パン。
昼ごはんは、赤ちゃんの機嫌を見ながら、食べなくてはなりません。また、外で食べるにしても、赤ちゃんを連れていけるところなので、場所に限りがあります。
今まで、自由気ままに外食をしてきましたが、そうはいかなくなったのです。
なので、一日の初めに、今日は食事をどうするかを先に考える必要があります。
家で食べるなら何を食べるか。ご飯ものなら、ご飯を炊く必要がある。他にも準備しなくてはならない。
外で食べるなら、何時ごろに、どこへ行くか。その場合、赤ちゃんの授乳や食事はどうするか。

その提案を、毎回毎回、私からしていました。
「今日のお昼、どうする?」と。

寡黙で何も決定しない夫

私の質問に対し、夫の返事はいつも決まっています。
「何がある?」
これは、どんな案があるのかを聞いています。

「外で食べるんだったら、先週も行ったけど、イオンのフードコートかな。授乳室があるから、便利だし。
家で食べるんだったら、納豆があるから納豆と目玉焼き定食か、パスタか、うどんか、ラーメンかな。
よぱ太の授乳を11時頃にするから、ご飯の準備はそれからになるよ」

「パスタだったら何がある?」

「パスタだったら、今できるのは、ナポリタンか和風ツナか、ペペロンチーノかな」

「ふーん。分かった」

ここで、いったん会話が止まります。
多分、考えているんだと思います。テレビを見つつ、スマホでゲームポチポチ。散らかった会話はそのまま30分経過。

業を煮やして、もう一度ご飯をどうするか尋ねると、夫の機嫌が少し悪くなります。
ご機嫌を損なってしまうと後が面倒なので、機嫌を取りながらさっきの話の続きを促します。

「お昼、どうしようね。ご飯ものだったら、ご飯を炊きたいから、決めちゃおうよ」

「うん。ご飯って気分じゃないな」

「じゃあ、麺類?」

「うーん…何がいいかなあ」

このあたりで、生産性のなさすぎる会話にだんだん私も面倒になってきますが、グッと我慢して、この会話で決め切ろうとします。

「じゃあさ、イオンにしよ。いろいろ選べるし」

「うーん、先週もイオンだったし…」

「じゃあ、家にしよう!ピーマン余ってるから、ナポリタン。それでいいよね」

「まあ、いいけど」

そして、最終的にパスタを茹で始めるころに、

「やっぱりナポリタンより和風ツナがいいんだけど」

となるんです。

じゃあ、最初から言えよ!!怒

書いていて、本当にあほらしい会話だと思います。
こんなグダグダなやり取りが毎週。

毎週訪れる提案タイムに疲労

お昼ごはんの提案は、いつも私からです。
夫からされたことはありません。

いつもいつも先回りして提案することに疲れ始めていました。
提案するためには、いくつかの選択肢を示す必要があります。8割捨てられる選択肢を考えるのもストレスでした。

こんなにグダグダになるなら、選択肢を示すのではなく、さっさと決めてしまえばと思われるかもしれません。しかし私が決めてしまってから、いざ昼ごはんの準備をしようとすると「やっぱりそれは気分じゃない」と言われることがよくあったので、”私が決める”のではなく、”双方の合意”という形をとりたかったのです。

私はもともと、行動に関して、相手に決めてほしいタイプです。ただ夫もそうなので、こんなにグダグダになるんですね。

一人なら、何も考えずにフルグラを食べるのに。

だんだん週末が来るのが嫌になっていました。

1年が52週くらいだから、もう100回くらい提案しています。
苦手なことを100回もすれば、それは疲弊します。

提案をやめてみた


その時はちょうど前日に喧嘩をして、私も夫も機嫌がよくありませんでした。
その日、私からは一切昼ごはんについて言及しませんでした。すると夫も何も言いません。
お互いに昼食を摂らないまま、15時になっても、16時になっても、昼ごはんの話は出ません。
私のなかで、なにかがぷっつりと切れました。

いらないんだ。
私から言わなければ、別にいらないんだ。
今まで、一方的にプレゼンしていたけれど、それは不必要なことだったんだ。
そりゃ、対応も面倒だったろうね。ごめんね。

それから、昼ごはんに関して、私から提案することをやめました。夫は食べないときもあれば、フラッとコンビニへ行くこともあります。
文句は一切言いません。
黙ってコンビニへ行くだけ。

私は食べなかったり、おやつくらいの時間にアルフォートを1つ食べたりする程度です。

私は今まで何をしていたんだろう。
作ったところで感謝もされない。
作らなかったところで、文句も言われない。
夫にとってご飯とは、そんなもんだったんだ。

あれば食べる。なければ食べない。ただそれだけ。

こんなにも温度差があるなんて。
一人で空回りしていた私はバカだ。

じゃあ、もういっか。

夕ごはんを作る気力も沸いてきませんが、これは何とか作り続けています。でも、メインと汁物だけ。副菜を作るまでの気力はありません。

だって、あってもなくても、どうでもいいと思っている人に、作る必要がないんだもの。

そうすると、どんどん食へのモチベーションが減り始めました。あんなに、食べるのも作るのも好きだったのに、とても面倒に感じます。
私にとって食事は、楽しいものから義務になりました。歯磨きや入浴と同様に、生活に必要だからする、くらいのものです。
食のモチベーションは減っても、空腹は不快です。だから、食べます。しかし、楽しくない。

私の人生の楽しみの8割を占めていた「食」。これを奪った夫を、私は許すことができません。人生の楽しみの8割を奪ったのも同様なのですから。もう夫とは、食事を楽しむことはないでしょう。
今日も私は台所に立ち、食事を作ります。そしてそれを食卓に出し、夫と食べるでしょう。しかし、そこには何の感情も伴いません。そんな相手と毎日食事をする必要を感じなくなるのも、時間の問題だと思っています。
食事を絶つのが先か夫婦が破綻するのが先か、私には分かりませんが、何かが終わりに向かっているのは確かです。

世の「ご飯を作ってもらっている」人たちへ

あなたは、家族にご飯を作ってもらっていますか?
その感謝を伝えたことがありますか?

感謝の言葉は言わなくても、分かってくれているから大丈夫?
毎日完食しているから、今さら言葉で伝えなくてもいい?

そんなことはありません。
無償で作ってくれている人に、言葉で伝えなければ、何も伝わったことになりません。

ご飯を作ってくれる人が、リクエストを欲しているとき、きちんと誠実に対応していますか?
刺身でいいよとか、ピザをとろうとか言っていませんか?
このリクエストは、ご飯を作る手間を減らす方法を聞いているのではありません。「私が作るものの中で、どれが一番好き?」ということを聞いているのですよ。
なんでもいいよなんて言っていませんか?最悪の愚答です。

あなたの家族は、どうしてご飯を作ってくれるのでしょうか。
愛情があるから?
もしかしたら、愛情があるから作るのではなく、作っているから愛情がわくのかもしれません。

私はそのようでした。

ねぎらいも感謝の言葉もなかったけれど、きっと心では感謝し、必要としてくれていると信じていました。
毎日毎日、ご飯を作りました。
でもある日、ご飯を作ることを求められていないと気付いたので、作るのをあきらめました。
そうしたら、愛情も減っていきました。それはどんどん、どんどん。
私はご飯を作ること、そしてそれを一緒に食べることで、夫に愛情を感じていたようです。

このグラフの赤い線は、夫に対する愛情です。
今はどこにありますか?
これから、どうなっていくのでしょうか。
食へのモチベーションを失って、夫を愛するモチベーションも失いました。
これからどうなっていくのか。
すごくどうでもいい気持ちです。
そう。好きの反対は無関心なのです。

私たちはしくじりました。
しかし、これを読んだ方はまだ間に合います。
今から、食事を作ってくれている人へ、感謝の気持ちを言葉にして伝えてください。