10cmの子宮筋腫を摘出したレポ⑦(手術翌々日)

2016年4月、直径10cmと大きく育ってしまった子宮筋腫を、開腹手術によって摘出しました。
初めての入院、初めての手術で怖いことや戸惑うことがありました。
同じように子宮筋腫がある人の参考になればと思って、レポートを書いてみます。
(当時書いていた日記を元にしています)

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今日も歩行訓練

二日目の朝

母はもういない。すべてを自分でやる必要がある。
自分でマグカップに水を入れ、自分で下膳をし、箸を洗う。
看護師に言われ、なるべく歩くようにした。と言っても、歩いたところで大して面白い場所でもない。
この病棟は中央にナースステーションがあり、その周りをぐるりと取り囲むように病室がある。なので、ナースステーションを一周してみた。
本当に面白い場所ではない。つまらなすぎて、掲示されている献立表だとか、がん検診のポスターとか、そんなものを鑑賞した。

やっと点滴を抜かれる

今日の朝ごはんと昼ご飯をちゃんと食べられたら、点滴は終わりと聞いていた。
点滴を抜くと、体が自由だ。まとわりつく管を気にする必要がない。しかも、実は点滴をしている部分がずっと痛かった。
その点滴とおさらばできて、本当にスッキリした。
しかし、私は見落としていた。
点滴を抜いてしまうということは、歩くときに頼りにしていた点滴スタンドも同時に、おさらばだ。
しかし、少しずつ歩けるようになっていたから、ちょうどいいタイミングだったのかもしれない。
廊下にある手すりを頼りに、つまらない散歩をした。

就活生の手術

気になっていた同部屋の就活生は、定刻通り手術室へと連行されていった。
彼女が帰ってきたのは意外と遅く、4時間後くらいだった。私の手術は2時間だったから、かなり長いほうだ。そういえば、ぱかっと開いてさくっと取る開腹と違い、腹腔鏡手術は手術時間が長くなるとどこかに書いてあった気がする。

彼女は部屋についたと看護師に告げられ、半分意識を取り戻したようだった。トイレに行きたがったが、尿管がつながっているから心配ないと看護師さんに言われていた。しかしそれがピンと来ないらしく、何度もトイレに行きたいと訴えた。私と全く同じだ。
また、彼女はひどく寒がった。完全に意識が戻っていないのか、あとはうーとかあーとか言葉にならないうめきを上げていた。
それが、30分ほど続いた。聞いているこちらがつらくなる声だった。
私も覚えていないだけで、そうだったのかもしれない。
そのあとは眠ったのか、こそりとも音がしなくなった。




初めて乗る車いす

看護師が病室にやってきて、彼女が言うことには、皮膚科の診察があるということだ。何が何だかよく分からない。この手術と関係あるのか。
ともあれ車いすに乗せられて、皮膚科へ向かった。初めての車いすだった。押してくれる人への引け目はあるが、何だか気分がいいといえばいい。諸葛亮になった気分だ。

実はこのころ、持病のアトピーがひどく、顔は真っ赤でぼろぼろでした。なので、見かねた誰かが皮膚科の受診の手配をしてくれたんだろうな、と予想ができました。しかし看護師さんはそんなこと一切説明してくれないし、というかその看護師さん自体もどうしてなのか分かっていないようだったし、本当にわけの分からないままの受診でした。

皮膚科を受診し、薬をもらえることになった。これで少しましになると良い。
看護師の誰かか主治医の先生が、おそらく手配してくれたんだろうと思った。そして多分、それは主治医の先生なんだろうなと確信した。次に会ったとき、お礼を言いたいと思った。

初めての一人での日中

昨日までは母がいたけれど、今日からは、夜に夫が来るまで一人だ。
しかし、私は一人が好きなので、これは全く辛くなかった。母の介助はありがたかったが、気を遣うのも事実。

前日に母が帰るときはセンチメンタルな気持ちになりましたが、一夜経ってみればこのメンタルよ。

一人は気楽で良い。
しかし夜になると、早く夫が来ないかと待ちわびた。
夫が来れば、一日の出来事を話す。夫がいる時間は1時間くらいしかなかったが、それは残りの23時間を一人で過ごすためのエネルギーを得る1時間だ。
面会時間終了の20時より5分前に、物寂しい音楽がなる。面会時間終了の合図。そんなの、流れなきゃいいのに。流れなければ、夫はずっといてくれる。私にエネルギーを与え続けてくれる。

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10cmの子宮筋腫を摘出したレポ⑧(手術後3日目)
2016年4月、直径10cmと大きく育ってしまった子宮筋腫を、開腹手術によって摘出しました。 初めての入院、初めての手術で怖いことや戸惑うことがありました。 同じように子宮筋腫がある人の参考になればと思って、レポートを書いてみます。 ...